川路聖謨

f0097528_21212385.jpgNHK大河ドラマ「花燃ゆ」、ご覧になっていますか?



私は相変わらずTVがないので見ていないのですが(^ ^;。
先日お客様から「あんな立派な幕臣がいたんですねぇ。しかも奈良に関係があるそうですよ」と、ドラマ関連の情報(?)をチラッと教えてもらいました。

その人、川路聖謨(かわじとしあきら)。
享和元(1801)年豊後国日田(現大分県日田市)生まれ。貧しい属吏の子でありながら、優れた才覚により幕府の要職を歴任するまでに出世し、さらに日露和親条約締結の際ロシア使節のプチャーチンらに「ヨーロッパでもまれなウィットと知性を備えた人物」と高く評価されるほどの好人物だったそうです。
幕末の幕臣といえば保守的で汚職体質にまみれた人ばかりと思いがちですが、その中にあって川路聖謨は非常に優秀な人物として処々の記録にも残されている由。晩年は隠遁していましたが、慶応4(1868)年江戸幕府の崩壊とともに自決。割腹のあと、国内最初ともいわれるピストル自殺で壮絶に殉死しました。

その川路聖謨の碑が、奈良にあるというのです。
川路聖謨は弘化3年~嘉永4年(1846-1851)、奈良奉行を務めます。天保の改革を頓挫した水野忠邦の失脚に伴う左遷だったということですが、その際広く植樹の呼びかけを行い、東大寺、興福寺を中心とした一帯に数千本の桜と楓の苗木を植えました。
そのことを記録した石碑が、猿沢池の近くにあるのです。それが写真の「植櫻楓之碑」。なんと、碑文は川路聖謨の自筆と伝えられています。あ、知ってる!見たことある!と思いつつ、それが川路聖謨という人に関するものだとか、何が書いてあるとか、肝心なことは分かっていませんでした…。

このたび改めて立ち寄って読んでみると、碑文はたいへん見事な漢文で…ほとんど読めません(T_T)。でも安心、今は隣に綺麗な訳文が添えられています。内容は奈良の地の由緒と自然、それに人々を誉め、植樹により皆が喜びあった様子などが記されています。さらに後年の人々にこの景観を守り続け、衰えた木は植え替えて補うようにと願っています。そのために、碑文を残すと。
なんだか160年も前から現代を見通しているかのような炯眼ですね。ちょっと、背筋が伸びました。
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by pavilion-b | 2015-02-10 21:21 | 奈良さんぽ | Comments(0)