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知覧特攻平和会館と武家屋敷群


知覧特攻平和会館と武家屋敷群_f0097528_11515570.jpg鹿児島旅行記、第2弾。
薩摩半島の先の方、知覧を訪ねました。




知覧特攻平和会館と武家屋敷群_f0097528_11415075.jpgどういうわけか最近、太平洋戦争や特攻隊のことに触れる機会が点々と続いていました。例えばベストセラーにもなった『永遠の0(ゼロ)』、この夏の話題映画『風立ちぬ』、そして鹿児島旅行の準備をきっかけに関心を持った島尾ミホと島尾敏雄…。滴る水のようにそれらが溜まっていたところへ、鹿児島行きの話が持ち上がり、これはぜひ「知覧特攻平和会館」へ行っておかねばと思ったのです。

そこは太平洋戦争中に特攻隊基地が置かれた場所でした。川沿いの古い集落から少し離れ、丘の上の平らに開けた一画。かつて滑走路として使われた場所が、今は桜並木や石灯籠が並ぶ静かな園になっています。台風一過の青空の下、容赦ない太陽が降り注ぎ木々の葉を煌めかせていました。
本で読むことも、映像で見ることも、歴史を知る上で有効な方法です。でもたとえ今は形が遺されていなくとも、それがあった土地、それが実際に起こった場所を訪れることで、身体が直接に何かを感じ、受け取ることがあるのではないでしょうか。

実際に館内で見たものとしては、ボロボロに朽ちた零戦の機体や、島尾敏雄が出撃寸前までいったという特攻艇「震洋」の実物模型にも衝撃を受けました。
しかしなんといっても、特攻で若い命を散らした隊員たちの遺書や手紙から目を逸らすことができません。なんて上手な字…、といったら不謹慎でしょうか。けれども来館者の多くがそのことに感嘆していたのも確かです。みな毛筆で、力強く整った字。今の私たちには及びもつかない意志を感じるとともに、それがあのような悲惨な道へと向けられるしかなかったのだろうかと、やるせなさが彷徨いました。

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知覧特攻平和会館と武家屋敷群_f0097528_11444582.jpg知覧は、江戸時代の武家屋敷でも有名です。
鹿児島市街などは空襲のために焦土と化し、藩政時代の名残を感じられるものは多くは残っていません。そのため、山間部の集落などに残された江戸期の家屋群はとても貴重なのです。
通り面は整った石垣と凝った生垣で独特の風情を纏っているものの、一歩屋敷へ踏み入ると意外に質素なことに驚きます。屋敷内にも贅沢な雰囲気は感じられません。質実剛健、という言葉がしっくりきます。


知覧特攻平和会館と武家屋敷群_f0097528_114568.jpg男玄関、女玄関と出入り口が性別で分けられていることなどは、現代の価値観からすれば奇異に映ります。でも当時はさほど不自然とも思われずにいたのだと考えれば、現代の価値観にしたところでしょせんは儚いものなのかもしれません。


知覧特攻平和会館と武家屋敷群_f0097528_11453860.jpg通りの突き当たりに「石敢当(いしがんとぅ)」がありました。邪気を飛ばす魔よけだと言われ、元々中国から主に琉球に伝わり、沖縄では今も多く見られます。藩政時代の琉球との交流を示すものでしょう。


知覧特攻平和会館と武家屋敷群_f0097528_1146960.jpgふと目に付いた、ハート型の籠。なんとも可愛らしい形で、さりげなく民具に混じって置かれていました。翌日県立鹿児島図書館で調べてみたら、「篊(ひび)」と呼ばれるカラ竹で編んだ籠で、川で仕掛けに使われるとのことでした。国内では川内川や万之瀬川流域だけに見られる南九州の珍しい道具なんですって。


知覧特攻平和会館と武家屋敷群_f0097528_11464881.jpgちなみに知覧は「知覧茶」でも有名です。なんと鹿児島は静岡に次いで茶の生産が全国第2位!
独特の生垣もマキとツバキの二段構えかなと推測しながら歩いていたのですが、後でツバキではなく茶の木だと気付きました。それもそのはず、茶はツバキ科の仲間ですものね。


知覧特攻平和会館と武家屋敷群_f0097528_11471561.jpgどちらかというと茶畑の低く刈り込まれた茶の木を見慣れているので、垣根として大きく育ち、丸々とした実を付けた茶の木は一見結びつかなかったのでした。お武家さまといえども、特産品を大切にして生産に励んだのでしょうか。
by pavilion-b | 2013-10-09 11:52 | 旅でござんす | Comments(0)