歌は世につれ世は歌につれ

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先日、ラジオから聞こえてきた戦慄のお話。



それは高校生の息子を持つ母親の投稿でした。
曰く、息子は友だち数人と一緒にカラオケへ行くと、人数分の部屋を借りて一人ずつ別々に入るのだとか。それを聞いてさすがに母親もびっくり仰天します。
「え、それじゃ一人で歌うの?」
「そうだよ」
「ほかの人が歌ってるときに、コーラス入れたり、マラカス振ったりとかして盛り上がらないの??」
「なんで。ほかのやつが歌うの聴くなんて、時間の無駄じゃん」
「……!!」
衝撃の親子対話に、ラジオのアナウンサーもしばし絶句。「そういう未来は……ヤだな……」とつぶやくのが精一杯で、フォローの出しどころも見いだせないまま番組は終了しました。

いろんな意味で興味深く、その日お店に来た人たちにも話してみました。
反応は様々で、やはり世代や性格によっても意見はちがいます。ただもうだいぶ前に高校生だった大人たちとしては、まず「何それ?」「だったら一緒に行かなきゃいいじゃない」と驚き呆れます。最終的に「若い子の考えてることはワカラン」と嘆き節も。
共通するのは、ネット世代(物心ついたときからネットが当たり前にあった世代)といわれる人たちの感覚は、単にジェネレーションギャップというだけでは済まされない隔絶があるのではないか、というショックでした。

ただ……落ち着いて考えてみると、変化はやはり少しずつあったように思います。
そもそも昔は歌といえば宴会や大勢集まる場で歌ったもの。歌声喫茶も然り。自然と合唱になったり、合いの手を入れたりして、みんながひとつになるものだった思います。
そこへカラオケという機械が登場し、マイクを持って歌うスタイルが定着しました。必然的に歌う人、聴く人の区分がはっきりします。それでもスナックなどのように、見知らぬ人同士も含めみんなで歌を共有する形は残っていました。
カラオケボックスの登場がその形態を大きく変えます。友人同士で部屋を借り切るため、歌が人を結びつける役割は希薄になります。主役は「歌」から「歌う人」へ。
そしてついに流れ着いた、聴く人さえ要らない時代。誰も聴き手に回りたがらなくなった結果歌い手だけが残った……、ということでしょうか。

これってでも、カラオケに限った話じゃない気がします。
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by pavilion-b | 2018-05-09 06:30 | Comments(0)