記憶にございません。

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奈良の興福寺はいま、中金堂落慶で賑わっています。



覆い屋も取り払われました。鴟尾も金ピカ。さすがに大きな建物ですね。
我々も落慶関連の催しのひとつ、「興福寺今昔写真展」を見てきました。古いものでは明治期の写真もあり、五重塔の上から撮った瓦屋根ばかりのならまちも見ることができます。

中金堂の模型を眺めていたら、法被姿のおじさんが解説してくれました。
「大きいでしょう。これは実物の20分の1サイズです」
「ほう」
「柱は模型で直径3cmくらいですから、実物は約60cmですね」
「ふうむ」
「それくらい太い木はもう国内では難しいので、海外から持ってきたのですよ」
「ははー」
とにかく感心。おじさんはニコニコ。

「これの前の中金堂は、いつまであったんですか?」ふと隊長が尋ねました。
「前の?」不意を突かれたおじさん。「えーっとね、えーっと……」おじさん、ちょっと後ずさりして、向こうにいたもう一人の法被おじさんにヘルプ。「あの、前のって、どうなんだっけ?」
「前の? ああ、それは……こっち、こっち」
我々はそのおじさんに手招きされ、ある写真の前に連れて来られました。
「これが前のですよ」
「え?」
驚いたのも無理はありません。それは紛れもなくカラー写真。説明には「平成12年、解体前の中金堂」とあります。平成?
「平成12年って……18年前。え、そんな最近まであったの??」

これには私以上に隊長がびっくり。なぜなら現在中金堂が建っている場所は、ずっと昔(明治ごろ)から更地だとばかり思っていたのですから。
13年前に奈良に来た私はともかく、小中学校時代は遠足等でたびたび奈良公園を訪れていたはずの隊長まで、前中金堂をまったく憶えていないというミステリー。隊長は帰り道々「えー……」と首をひねりっぱなしでした。

改めて調べてみると、確かに平成12年まで前の建物があったようです。
今回「300年ぶりの復興」と謳われているのは、前中金堂が江戸時代の1717(享保2)年に焼失したあと、1819(文政2)年に再建されたのは「仮金堂」だったため。そして平成12年まで残っていたのはこの仮金堂でした。
いやそれにしても築181年ですよ。それはそれで見たかった。境内も今のように一面の砂利敷ではなく、桜や松が茂っていたようです。今昔写真の中にもお花見で賑わう様子が写っていました。
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by pavilion-b | 2018-11-01 06:25 | 奈良さんぽ | Comments(0)