日本人移民のこと

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やっと訪ねてきました。



神戸にある「海外移住と文化の交流センター」は、以前に知人から教えてもらい気になっていた場所です。
この建物はもともと1928(昭和3)年に「国立移民収容所」として開設され、ブラジルなど中南米諸国へ向け約25万人の移住者を送り出した施設でした。途中から「神戸移住センター」と名を変えつつ1971(昭和46)年までその役割を果たし、その後は看護学校や阪神淡路大震災(1995(平成7)年)で被災した神戸海洋気象台の一部仮庁舎として、さらにアートスペースとして活用されます。そしてブラジル移住100周年となる2008(平成20)年の保存・再整備工事を経て、翌2009(平成21)年に現在の形となりました。
このように建物そのものが歴史の証人である上に、今では整備された史料と解説を通じ、日本から多くの人が海を渡った移住という大事業を学ぶことのできる貴重な場所となっています。

私自身、子どものころから「日系〇世」といった言葉は知っていても、そのルーツについて深く考えたことはありませんでした。その人たちの祖先はいつごろ、なぜ、どのように海を渡っていき、そこで何をしていたのか。
祖先といっても早い人で私から見て曽祖父の世代ですし、終期の昭和40年前後に至っては私の親世代です。実は身近な人々なのです。写真や音声を通じ多くの同じ日本人の姿に見入りながら、いつしか自分の身をそこに重ねていました。

いま外国人労働者の「受け容れ」が議論されています。その話をするとき、私たちは自然と受け容れる側に立っています。しかし私たち自身が受け容れられる側、行く側だったら、その議論はどう映るのか。
現在では大量の日本人が海外に向けて移住するということはリアリティを失っているかもしれません。しかし現実に少し前まで、日本も移民の送り出し国でした。
そしてそのことは単なる過去ではありません。その流れは実は今も様々な面でつながっています。

施設の窓からは、今はビルが林立しているものの、光る海とそこへ向かって下る坂道が望めます。「移民さん」と呼ばれた海外移住者たちも、この景色を眺め、この坂を下って船へと乗り込んでいきました。
移住者がインタビューに答える音声資料の中で、複数の方が「この神戸の街並み、山並みが私たちにとっての日本の原風景です。子どものころ最後に目に焼き付けた日本は、富士山ではなく、船上から見たあの神戸の山並みなのです」と語っておられたのが印象的でした。
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Commented at 2018-12-02 19:18 x
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Commented by pavilion-b at 2018-12-03 09:33
当時の記録や映像、所持品などの展示から海を渡った人々の声に耳を澄ませてみましたが、あまりにその声が多様なので、今はまだどこか漠然としています。もう少し紐解いてみたくて、館内で紹介されていた第一回芥川賞受賞の小説『蒼氓』石川達三(著)がブラジル移民を題材にしていることを初めて知り、読みたいと思っています。
Commented at 2018-12-04 15:22 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by pavilion-b at 2018-12-05 12:21
なかなか難しい問題ですよね。でもおっしゃる通り立場の違いを超えて考え続けることが大切ですね。今回の神戸旅はとてもよい機会になりました。展示を観て疑問に思ったところもあるのでそこは宿題ですね(^^ゞ
by pavilion-b | 2018-11-28 16:35 | 旅でござんす | Comments(4)